第1回
〜 新宿の空の下で始めた「生活を支える」歯科診療 〜
「生きるか死ぬかの現場に、歯医者が行って何をする?」
東京都新宿区。高層ビルが立ち並ぶ大都会の片隅で、私は小さな歯科医院を営んでいます。歯科医師になって三十年余り、毎日外来と訪問診療に追われる日々ですが、私の歯科医としての原点は、二十九年前の「ある問い」に遡ります。
一九九一年に大学を卒業した私は、母校の補綴(ほてつ)科に残りました。補綴とは、失った歯を入れ歯やブリッジ、インプラントで補う分野です。当時のインプラントはまだ黎明期。私は迷わず入れ歯の専門講座を選びました。学生時代は模型実習が主ですから、臨床に出た当初は入れ歯の調整一つ満足にできません。そこから泥臭く経験を積み、一通りの治療ができるようになった三十一歳の時、大きな転機が訪れました。
新宿区で訪問診療を行う若い内科医から、一通の相談を受けたのです。「在宅には歯科医が足りない。先生、ぜひ一緒にやってくれませんか」と。 当時の私にとって、その提案は寝耳に水でした。正直な感想はこうです。「生きるか死ぬかの瀬戸際にいる寝たきり高齢者のところへ行って、歯医者が一体何をするというのか?」
当時はまだ「訪問歯科」という概念自体が一般的ではなく、私自身、何を求められているのかさえ想像もつきませんでした。しかし、新しい分野へのわずかな好奇心に背中を押され、翌月、その内科医の現場に同行することにしたのです。
「無歯科医村」だった大都会
現場で最初に突きつけられたのは、自分の無知でした。 「寝たきり老人」という言葉の響きから、私は全員が終日ベッドで横たわっている姿を想像していました。ところが実際は、車椅子で出迎えてくれる人、食卓に座っている人、中には自力で歩ける方もいました。「これなら歯科医にもできることがあるかもしれない」――。
しかし、現実は甘くありませんでした。内科医が一件ずつ「歯医者さんですよ、困りごとはないですか?」と聞いて回っても、返ってくるのは「特にない」「うちは大丈夫」という言葉ばかり。それは歯が健康だからではありませんでした。 当時の患者さんたちは明治末期から大正生まれ。戦争を生き抜き、「悪い歯は抜いて入れ歯にする」のが当たり前だった世代です。多くの人が歯を失っていました。
さらに深刻だったのは、当時の医療現場の慣習です。高齢者が入院すると、管理上の理由などですぐに入れ歯を外されてしまう。数ヶ月の入院を経て退院する頃には、口の中の状態が変わり、預けられていた入れ歯は全く合わない代物になっています。 通院できる体力があれば作り直せますが、そのまま寝たきりになれば「入れ歯なし」の生活が確定します。
同行した先々で見たのは、誰も入れ歯を入れず、食べられるものだけを食べ、食べられなくなればミキサー食、次はチューブ栄養、そして死を待つ……という過酷な現実でした。 私は激しい悔しさを覚えました。入れ歯の専門家を自負しながら、自分の足元にある新宿が、これほどまでに歯科医療から見放された「無歯科医村」であったことに気づかなかった。 「外された入れ歯を、僕が入れに行きます!」 私はその内科医に、半ば宣言するように訪問診療の開始を告げました。
忘れられない「アワビ」の言葉
一九九七年十一月、最初の日曜日。私の初めての訪問診療は、新宿のマンションに住む八十代の女性でした。上下の総入れ歯が合わず、うまく噛めないという主訴です。 部屋に入ると、独特の懐かしい匂いがして、緊張していた心が少し解けるのを感じました。補聴器を調整しながら満面の笑みで「よろしくお願いします」と迎えてくれたおばあちゃん。その姿は、診療室で対面する「患者」というよりも、その場所で人生を営む「生活者」そのものでした。
処置は、入れ歯の裏側に樹脂を盛り、粘膜との隙間を埋めてフィットさせる「リベース」という基本的なものでした。数分の硬化時間を待ち、バリを取って調整を終える。見た目は変わりませんが、吸いつきは見違えるほど良くなりました。
片付けをしながら、娘さんと世間話をしていた時のことです。 「母は美味しいものが大好きなので、入れ歯が合わないと困るんです」 「そうですか。何が食べたいんでしょうね」 何気なく私が尋ねると、娘さんがお母さんに声をかけました。「お母さん、入れ歯が治ったら何食べたい?」
おばあちゃんは即座に答えました。 「アワビ!」
その一言は、私にとって衝撃でした。 それまでの私は、診療室で「どこが痛いか」「調子が悪いか」という欠陥の指摘ばかりを求めていました。入れ歯の評価も、何が噛めるかという「機能」でしか見ていなかった。しかし、在宅の現場は「生活の場」です。そこにあるのは、治療の先にある「何が食べたいか」「どう生きたいか」という切実な願いでした。
生活を、そして人生を支える
外来診療と訪問診療は、似て非なるものです。外来が「病気を治す場所」であるならば、在宅医療は「生活を支え、残された人生を支える営み」です。
あの日の「アワビ」という言葉は、私の歯科医としての指針となりました。 単に入れ歯を修理するのではない。その先にある「食べる喜び」や「その人らしい暮らし」を取り戻すこと。新宿のビル群の合間で、今日も私はカバンを抱え、誰かの「食べたい」を支えるために玄関のチャイムを鳴らしています。